法律系ライターあさきみえの日々雑感

ライターとしての実績やライターとして日頃思ったり考えてたりしていることが中心です。

カテゴリ: 自己紹介

また間があいてしまいましたが、
自己紹介シリーズ、まだ続きますよ!

過去のシリーズは以下のページへどうぞ。

幼少期編 → コチラ
小学生編 → コチラ
中学生編 → コチラ

奇跡的に、第一志望だった
学区内トップの公立高校に滑り込んだ私。
 (注:当時の大阪府には学区がありました。)

部活は、最初は演劇部にいました(実は…)。

1年生の秋に生徒会執行部に入り、
ここから受験期に入るまで、
クラブと生徒会活動に明け暮れる日々。

文化祭も体育祭も
実行委員として走り回っていたため、
クラスで過ごした記憶はほとんどありません。

クラブは2年生の夏から
ギターマンドリン部に移りました。

そう。
ここから私のギター人生がスタートしたのです。 

はじめは「ギターが弾いてみたい」という
ひじょうに軽い気持ちで入ったのですが、
まさかその後10数年も続くことなど
想像もしていません(笑)。 

入部した7月の時点では
「ド」の音の場所もわからなかった私が、
夏休み中に毎日猛特訓した結果、
2ヶ月後の第9回OB演奏会の日には
演奏曲目がほぼ7〜8割がた
弾けるようになっていました。
(序曲レナータとか、グランドシャコンヌとか)

このとき、「好きこそものの上手なれ」という
言葉の意味をつくづく実感。
やればできるもんなんですね。

部活は翌年4月の定期演奏会で引退。
引退しても、6月のギターマンドリン音楽祭に
出演する予定だったので、
部室には変わらずよく行っていました。

生徒会とクラブ活動で得た仲間は
疎遠になってしまった人もいますが
今でもずっとつながりがあります。

特にクラブのほうは、
OB演奏会とOB交流会が毎年交互にあるので、
はるか上の代から下は高校生まで
面識のある人はたくさんいます。

もう、自分が高校生の倍ほどの年齢になってしまい、
OGとして古株になってきたなぁというのを
最近つくづく実感します。
そろそろご意見番になってもいいかな(笑)。

というわけで、
進学校に入った割には勉強など全くせず、
生徒会とクラブをめいいっぱい
楽しんだ高校生活でした。

その後、1年浪人して
私立の大学に進学することになります。


つづく。 

自己紹介シリーズ、しばらく
ほったらかしでしたが、続きいきます!

過去のシリーズは以下のページへどうぞ。

幼少期編 → コチラ
小学生編 → コチラ


中学生になると、なぜかとても強烈な個性の
持ち主たちと仲良くなりました。

よくわからない謎のキャラクターを
せっせと描いている子、
やたらビジュアル系好きな子、
なんか変わった性格をしてる子。。

そんな彼女らに囲まれて、毎日が刺激的で
楽しかったです。

部活は、バレーボール部に所属してました。
(そんな風に見えないでしょ?(笑))

へたっぴだったので万年補欠。。というか
補欠にもなれず、試合のときにはよく
スコアの記録係をしていましたね。

勉強面では、中学生になると同時に
学習塾に放り込まれ、そこではテストの度に
クラスでトップに。

1年近く通いましたが、当時仲良しだった子が
通っていた進学塾に行きたくなり、そちらに
移りました。

たちまち塾が気に入り、
中3のときには、受験が終わるまで
週5日通いました。

おかげで英・数・国・理・社の5科目は
中2から卒業まで、ほぼ90点以上をキープ。
(この頃の私は優秀だった…)

信頼できる先生や、
同じ目標を目指す仲間たちと過ごした塾生活は
ほんと楽しかったです!

5科目以外の成績があまり良くなく、
内申点は決して高くはなかったのですが、
おかげで、合否はグレーゾーンと言われていた
学区内トップの公立高校に
なんとか滑り込むことができました。



高校生編につづく

こんにちは。ライターのあさきみえです。
前回の続きです。

前回はこちら → 〜幼少期編〜

〜 小学生編 〜

幼稚園の卒園の直前で引っ越したため、
友達とは離れ離れ。
同じ市内ではあったけど、まったく知らない土地での
小学生生活のスタートとなりました。

幼少期からおそらくそうだったと思うのですが、
基本的におとなしく、人見知りな子でした。

背も小さく、背の順は常に先頭か前から2番目。

 牛乳が嫌いだったので、毎日の給食が地獄でした。。
小学3年か4年のときは、
それが理由で一時期毎日いじめられていました。 
(当時は気が弱かった私。今だったら10倍返しするけど。)
プチ登校拒否にもなりました。

小学5年になってクラスが変わると幸いいじめはなくなり。。

小学5年だったか6年だったか忘れましたが、
「自主自習ノート」というのがありました。
そのノートを使って自分でいろんな勉強をして、
ノートが1冊終わると、担任の先生が新しいノートの表紙に
「自主自習ノート No.〜」って書いてくれるんです。

この「No.〜」の数字が増えていくのがうれしくて、
まわりの同級生たちがあまり進まない中、
私は1年でNo. 15までいきました。笑
一種のゲーム感覚だったんでしょうね。
 

習い事について。
小学校に上がってからは
エレクトーンをやめ、同じ音楽教室でやっていた
ピアノの個人レッスンに変わりました。
バイエルから始まって、ハノンまでいったかな。

途中、個人宅でやっているレッスンに変わりながらも、
6年間続けました。


中学生編に続く。

こんにちは。ライターのあさきみえです。

自己紹介がてら、生い立ちを書いてみたいと思います。

母の実家のある兵庫県姫路市にて出生。
大阪府は枚方(ひらかた)というところで育ちました。
(ひらパーで有名なところです)

〜幼少期〜

とある団地に住んでいたので、
同じ団地に住む歳の近い子たちとよく遊んでいました。

お向かいは、中学生のお兄ちゃん・
高校生のお姉ちゃん姉弟のいるお家で、
母としょっちゅう遊びに行かせてもらっていました。

いっしょにクッキーを作らせてもらったこともあるし、
妹が夜に口の中を切って血が止まらなくて
両親が病院に妹を連れて行った時も
そこのおばさんがすぐ家に来てくれて私と一緒に寝てくれたり、
まさに家族ぐるみのお付き合いをしていました。
(結婚してから会ってないけど、みなさんお元気かな・・・)


年中から幼稚園に通いました。

幼稚園ではピアニカをやっていて、
それが好きだったような記憶があります。

習い事は、エレクトーンのグループレッスンに
通っていました。
たしか発表会にも出たと思います。
(うろ覚えですが)
お勉強系の幼稚園だったので、
ひらがなの練習とかもやっていたような。。


小学生編に続きます。

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