法律系ライターあさきみえの日々雑感

ライターとしての実績やライターとして日頃思ったり考えてたりしていることが中心です。

2016年02月

よく、

「できるかわからないから〜しない」

っていう人いますよね。
それって、ものすごくもったいないことだと思います。

私も以前はそうでした。
でも、ここ2〜3年で考え方が大きく変わり、
できるかわからないけど、興味のあることや
やってみたい・行ってみたいと思うことは
とりあえず「できる」という前提で動くことにしています。

プレストでのギターパートトップへの立候補も、
フィロへの参加も、
本当に舞台に立てるかどうかわからないのに
まず先に決めてしまいました。

「やる」と決めてしまえば、
どうすればできるかを必死で考えようとするから、
結果、できるようになるんですね。

こういうパラダイムシフトができるようになったのも、
以前とあるスタートアップ企業で仕事をしていたから。

その会社の社是は

「できない理由を考えない。どうすればできるかを考える」
 
というものでした。
社長から、マネージャー陣から、
もう徹底して叩き込まれました。

難しいと思うことでも、
「そんなんムリ…」っていう言葉をぐっと 飲み込み、
できる方法を必死で考える。

そんな思考のクセがつきました。

 そのうち、ずっとネガティヴ思考だった私が、
何事もポジティブに考えられるようになりました。

仕事のほうではいろいろありましたが、
このことだけは感謝しています。

みなさんも、できないかも〜と思うことでも、
「できる」という前提でやってみませんか? 
意外にすんなりできてしまうかもしれませんよ♪
 

こんにちは。ライターのあさきみえです。
前回の続きです。

前回はこちら → 〜幼少期編〜

〜 小学生編 〜

幼稚園の卒園の直前で引っ越したため、
友達とは離れ離れ。
同じ市内ではあったけど、まったく知らない土地での
小学生生活のスタートとなりました。

幼少期からおそらくそうだったと思うのですが、
基本的におとなしく、人見知りな子でした。

背も小さく、背の順は常に先頭か前から2番目。

 牛乳が嫌いだったので、毎日の給食が地獄でした。。
小学3年か4年のときは、
それが理由で一時期毎日いじめられていました。 
(当時は気が弱かった私。今だったら10倍返しするけど。)
プチ登校拒否にもなりました。

小学5年になってクラスが変わると幸いいじめはなくなり。。

小学5年だったか6年だったか忘れましたが、
「自主自習ノート」というのがありました。
そのノートを使って自分でいろんな勉強をして、
ノートが1冊終わると、担任の先生が新しいノートの表紙に
「自主自習ノート No.〜」って書いてくれるんです。

この「No.〜」の数字が増えていくのがうれしくて、
まわりの同級生たちがあまり進まない中、
私は1年でNo. 15までいきました。笑
一種のゲーム感覚だったんでしょうね。
 

習い事について。
小学校に上がってからは
エレクトーンをやめ、同じ音楽教室でやっていた
ピアノの個人レッスンに変わりました。
バイエルから始まって、ハノンまでいったかな。

途中、個人宅でやっているレッスンに変わりながらも、
6年間続けました。


中学生編に続く。

こんにちは。ライターのあさきみえです。

自己紹介がてら、生い立ちを書いてみたいと思います。

母の実家のある兵庫県姫路市にて出生。
大阪府は枚方(ひらかた)というところで育ちました。
(ひらパーで有名なところです)

〜幼少期〜

とある団地に住んでいたので、
同じ団地に住む歳の近い子たちとよく遊んでいました。

お向かいは、中学生のお兄ちゃん・
高校生のお姉ちゃん姉弟のいるお家で、
母としょっちゅう遊びに行かせてもらっていました。

いっしょにクッキーを作らせてもらったこともあるし、
妹が夜に口の中を切って血が止まらなくて
両親が病院に妹を連れて行った時も
そこのおばさんがすぐ家に来てくれて私と一緒に寝てくれたり、
まさに家族ぐるみのお付き合いをしていました。
(結婚してから会ってないけど、みなさんお元気かな・・・)


年中から幼稚園に通いました。

幼稚園ではピアニカをやっていて、
それが好きだったような記憶があります。

習い事は、エレクトーンのグループレッスンに
通っていました。
たしか発表会にも出たと思います。
(うろ覚えですが)
お勉強系の幼稚園だったので、
ひらがなの練習とかもやっていたような。。


小学生編に続きます。

こんにちは。
ライターのあさきです。

もう一つの顔、クラシックギター弾きの私の出演する
クボタ フィロマンドリーネン オルケスターの演奏会が
来週と迫っております。

今日は同楽団の音楽監督であり、総指揮者である
久保田孝先生にスポットを当ててみたいと思います。

久保田先生といえば、マンドリン界では知らない人は
おそらくいないであろうほどの人物。
彼が作曲した代表作「舞踊風組曲第2番」「幻想曲第1番」などは
全国の学生・社会人団体で幾度となく演奏されています。

〜〜〜久保田孝 略歴〜〜〜

1968年より旧西独カールスルーエ音楽大学指揮科、
1972年よりウィーン音楽大学指揮科にて学び、
帰国後は東京フィルハーモニー交響楽団、
群馬交響楽団、札幌交響楽団などを指揮を歴任。

また、帰国直後より、個人指導を中心とした音楽教室
KMA ( Kubota Musik Academie ) を主宰し、
後進の育成に当たる。 

2002年 ロシア・バラライカオーケストラの最高峰
オシポフ国立ロシア民族楽器オーケストラを初の外国人指揮者として指揮。
全ロシア・ロシア民族楽器指揮者コンクールの審査員として参加。
2007年にギリシャで開催されたヨーロッパマンドリンコンクールでの審査員も
つとめた。

日本でも、大阪国際マンドリンコンクール&フェスティバル、
日本マンドリン室内楽コンクール2007、全日本マンドリン合奏コンクールなどの
審査員を務めている。

 (クボタ フィロマンドリーネン オルケスター第23回演奏会チラシより内容抜粋)

〜〜〜〜〜〜〜〜

普段の久保田先生は、こんなすごいご経歴を感じさせないほど
気さくでフレンドリーで、ときに冗談をとばすようなお人柄です。

が、ご高齢でありながら、
「マンドリン音楽界全体の底上げを図っていきたい」という
とても熱い志の持ち主でもあります。


今回の演奏会のテーマは「イタリア音楽特集」。
「仮面」序曲や、「運命の力」序曲など
シンフォニーオーケストラで演奏されるような曲もあります。

クラシック音楽初心者にとって、
意外と耳なじみのよい曲も多いですよ♪

よいお席はどんどん埋まっておりますので、
行こうかな、どうしようかな、と迷われている方はぜひ
早めにコメント欄もしくは直接メッセージでご連絡くださいね。

2/20、紀尾井ホールにて、みなさまのご来場をお待ちしております! 

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1月いっぱいで会社をやめ、
今月からは無事フリーランスとして
徐々にスタートを切っております。

先週のうちに1件、受注をいただくことが決定し、
すでに数件記事を納品しました。

別件で、独立初日にお仕事のご依頼もあり、
すでに打ち合わせ済みだったりします。
(諸事情により、こちらの案件は
返事を待っていただいていますが)

今年は間違いなくいろんなことが変わって
転機の年になる。
そう確信しています。

自分も変わっていくけど、
付き合う人も変わっていくと思います。
自分から離れていく人もいるかもしれない。

ちょっと前まで、人が離れていってしまうのは
すごく怖かったけれど、今は不思議と怖くないです。

離れていく人がいる分、
新しい出会いがあると思うから。

こんな自分を気に入ってくれる人と
お付き合いをすればいいだけの話。

そう割り切れるようになったっていうところも
変わったな〜自分、と思います。

もちろん、変わらずお付き合いいただける方が
いてくださるなら、
とってもうれしいです。

これからもよろしくお願いします♪

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